こんにちは!
FAITH(フェイス)小川由佳です。
だいぶ前の話ですが、某テレビ局のトーク番組を見ていたら、
「クリエィティブ職でようやく自分らしく仕事ができるようになってきたと思ったら、管理職を打診された。
自分としては、まだこのままクリエィティブ職をやっていたい気持ちがあるが、どうしたらいいか?」
という視聴者からの相談が取り上げられていました。
それに対して、番組の3人がいろいろと自身の考えを述べるわけなのですが、
その中で、一人の人が話されたエピソードが印象的で、心に残りました。
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芸人さんの中には、ボケとツッコミの役割分担が、
デビュー当初と比べて逆になっている人がけっこういる。
というのも、やっていく中で、周りの人から、
「ボケとツッコミは逆の方がいいんじゃないか?」
というアドバイスを受けるから。
例えば、それまでボケをやっていた人が、
「いや、ツッコミやったほうがいいんじゃない?」
といわれたとき、
「いや~、自分はボケがいいんで」と、
自分の意見に固執した人は、
その後、けっこう沈んでいっている。
一方、そのときのアドバイスを受けて、
逆でやってみた人で、今も残っている人は多い。
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周りの人のアドバイスを聞くか。
自分の「したい」を貫くか。
このあたり、正解があるわけではなく、
難しいところではあるのだけれど。
1つ言えるのは、
自分が把握している自分は、
「全ての自分」ではないということ。
ジョハリの窓って、ご存知でしょうか。
自己を「自分が知っている/知らない」「他人が知っている/知らない」という
2つの視点から分類するモデルのことで、
アメリカの心理学者ジョセフ・ルフト氏とハリー・インガム氏が考案したものです。
2人の名前をとって「ジョハリの窓」と呼ばれています。
例えば、プレゼンをしているときの自分は、どんな感じなのか。
どんな振る舞いをしているのか。どんな口ぐせを発しているのか。
自分にはわからなくても、プレゼンを見ている聴衆にはよくわかる。
これが、自分は知らないが他者は知っている「自分」の例です。
このように、
自分が知らない「自分」というのは、確実に存在するわけで。
「〇〇やってみたら」という他者からの声掛けは、
そんな、自分の知らない自分に気づくチャンスでもあります。
だから、よっぽどやりたくない、やらない理由があるということでなければ、
一度はやってみるのもありなのではないかと思うのです。
実際、何事も、
一度やってみないことには
本当のところは、わかりません。
結局、私たちに判断できるのは、
過去経験したことや見聞きしたことの延長でしかないから。
自分のポテンシャルを知るためにも、
気になることは、やってみる。
で、やってみて、「やっぱり違うな」と思ったら、
やめたらいい。
「やっぱり、あっちのほうが合っていたんだ」と判断できるし、
また、元に戻るにせよ、
そのとき、〇〇を試した経験は、
元に戻ったときも、きっと生きてくると思っています。
・・・と、ここまで書いていて、もう1つ、
「選択」の際に考慮したほうがいい視点があるなあと思いました。
これについては、次回の記事で書こうと思います。